断章:花音の詩歌 [後]





 開輪九年。栄皇太后への反乱後、陽龍はよくこの国を治めていた。陽香高祖の御宇と比べて見劣りせぬ程に、良い臣と妃たちに恵まれたせいであろう。
 殊に、後宮の平安は朝廷を安定させた。争いは後宮の常ではあるが、皇子時代からの妃である泰氏――武妃に封じられた――が中心になり女たちを抑えた。また陽龍も、どの妻も身分以上の寵を与えることもなく、しかし捨て置くこともなく、後宮内の安定に努めた。
 諌言(かんげん:いさめの言葉)の臣を重んじ、甘言の臣を飼い慣らし、科挙の不正を改めた。財政難を乗り越えるため、諸王の独立を促し、州を統合して減じもした。
 ただし、平和な雰囲気の漂う市井とは裏腹に、陽龍の政治はいつも血生臭かった。恐れられていることを知りつつ、しかし彼はためらいもせず数々の者たちを葬った。
 だが陽龍の心が以前のように荒れることはなかった。彼は青皇后春耶を手に入れ、満ち足りていた。青氏もまた、いつも醒めた瞳をしていたが、皇帝の前では時折表情を見せた。何を考えているのか分からぬのは変わりなかったが、陽龍は春耶を愛し続けた。彼は密かに子供がなかなか生まれぬことを残念に思ってはいたが、寵が離れることなどなかった。
 倖せの蜜月は皇帝を安んじ、国を平らかにした。それはあまりに優しく、穏やかなものであったのだ。
 それは陽龍が予知夢の力さえ持たなければ、死ぬまで続いたはずの幸せ。



*     *     *



 ああ。陽香が滅びるというのか。
 陽龍の慟哭はしかし、夢の裡には届かない。
 国が豊かになりゆく喜びのなか、何故それを知らなくてはならないのか。
 この手では運命は変えられぬというのに。
 血が全てを染め抜く。
 何もかもが絶望に浸されてゆく。
  ――――本当にこれは祝福の夢なのか!
 何故に生まれると同時に禍々しきものを負う。
 天帝よ!
 天命など、天命など!



*     *     *



 びっしりと汗をかいて、陽龍は目覚めた。
 まだ、夜は深い。
 それと同化し、陽龍の瞳はしばし虚ろであった。
(何故………っ!?)
 吐き出せぬ絶叫を堪えるために、彼は乱暴に自らの頭を抱え込み、顔を歪ませる。歯を食いしばる頬の横を、一筋の涙が流れていった。
 ただの夢として捨て置くには、あまりに彼は己の力を知りすぎていた。
(何故、何故、吾が子なのだ………っ!?)
 ―――天帝はどう思し召しなのか。
 隣に健やかな寝息を立てる春耶の顔を、陽龍はまともに見ることが出来ない。
 待ち望んだ子供。その誕生の知らせの夢は、祝福であったはずだ。
 祝福でなければならないはずだ。
 このときほど予知の力を厭わしく思ったことはなかった。
(青氏。汝は吾が国の運命を担う子を生むよ)
 今はただ、動乱に生きると定められた子だとしか分からぬ。
 陽香は一度滅びる。
 夢は、天帝は陽龍にそう告げた。違えることのない真理。
 これを立て直す者となるか、新たな災厄を招く者となるか。どちらの可能性も孕む、天帝が授けた子供。
 それでも子供を欲するか否かと問われ、余は―――是と。
(希望が欲しかったのだよ)
 激情が過ぎ去り、自棄のように静かな想いがさざ波のように押し寄せてくる。
 希望が欲しかった。
 あの夢の中。
 余が愛するこの国が朽ち果てぬ奇跡が。
 誘惑に勝てなかった。災厄と背中合わせの、だが確かに希望であるはずの吾が子が。
「……すまん…」
 陽龍は、誰にでもなく、詫びる。
 この賭けに負けることがあらば、余の魂は地に堕ちよう。
 ならば子供には学と武を持たせ、慈しみの心を育てよう。
 陽の名を冠して。



 翌年の開輪十年。
 後宮の牡丹が咲き初めた日、青皇后はついに出産した。その報は瞬く間に陽龍に伝わった。彼は一瞬呆然とし、ついで見たことがないほど優しく微笑んだ。彼が直々に産室に出向くと言い出したのを、つい皆が許してしまったのはそれゆえである。
 だが陽龍は喜んでばかりはいられなかった。産室へ向かう間に彼の心はしだいに緊張していった。これから見に行く子供は、どちらにしろ動乱に生きると定められた子供。
 己の選択が間違っていなければいい。
 それは魂からの祈り。間違ったと感じたとき、余は吾が子を手に掛けなければならぬ。それは何よりの痛みであろう。
 産室へ到ると、陽龍を老いた女官たちが出迎え、一斉に平伏した。宦官の姿は見えない。いくら男を捨てたといっても、この場に入ることは許されないらしい。
 思い詰めた心を隠すように、陽龍は笑みを浮かべて中に足を踏み入れた。
すると突然、赤子の金切り声がした。
「泣いておる」
 誰に言うでもなく呟くと、それを合図にしたかのように、いそいそ産婆がやって来た。
「御子と皇后陛下はこちらにいらせあそばす」
 産婆は部屋の奥を指し示した。その先には紫の薄い帳が張っており、僅かに透けて、その中に牀があることが見て取れた。
 陽龍は人目があるため駆け寄れぬことを、もどかしく思いながらも自制心で耐えて、ゆっくりと帳に近づいた。そして開く。
 牀に横たわる、顔色の悪い春耶。その隣には白布にくるまれた赤子。
「陽龍さま………」
「これが」
 吾が子。
 子供は、ぐったりとしている母親と打って変わり、元気な声で泣き続けている。しかし産婆がやって来てあやすと、徐々にむずがらなくなった。
 陽龍の心は知らずうちに和んだ。愛しく思う。赤子が猿みたいだという話は本当であったか。
「元気な子だ」
 とりあえず赤子を抱く産婆に向けて言うと、産婆は皺だらけの顔をさらにくしゃくしゃにして笑い、皇帝の思いを見透かしたように言った。
「心配なさらずとも、今にお可愛らしゅう公主におなりになる」
「 ――――公主だとっ………!」
 笑う場面で、どうして天子が急に怒鳴ったのかは、産婆には皆目わからなかった。産婆だけではない。その場にいた者は皆ぽかんとした。
 陽龍は信じられないという表情で赤子を凝視する。
「皇子ではないのか」
「紛れもなく女の子ですわ」
 その声は硬質ではあったが、以前に比べてよほど温かみのある青氏のもの。まだ牀上にあって動けぬ彼女は、頭部だけを皇帝に向けてそう言った。
 表情に乏しい彼女も、妻となり母となったことで、柔らかみを備えつつあった。
「何故」
 にがりきって陽龍は呟いた。女に国を立て直すことが出来ようか。
 陽龍にはとても無理だと思った。そうでなくとも、彼には己が母親の女禍が忘れ得ぬものとして、脳に刻み付けられている。
 この子供は、国を立て直す者ではなく、さらに滅ぼし尽くす者となるのだろうか。母のように。そして女であったゆえに。
 しかし青氏の考えは陽龍のそれとは違うようだった。
「きっと動乱の子だから、この国の希望だからこそ公主なのですわ」
 確信めいて言う。
 彼女は夫から予知夢の力を告白されたとき、全く疑いはしなかった。皇帝になるという予知夢を見た男と、皇后になると予言されて生まれた女。どちらも本来ならその地位につくはずのない人間であったというのに。ならばその子供が動乱の中に生きるのも不思議ではない。
 邂逅は運命だった。しかし選び取ったのは自分たちだと確信できる。この子供の誕生は――そして人生は、天帝でさえ読み取れぬ、動かせぬこの子自身のもの。だからこの子は災厄者にはなるまい。
「よく意味がわからぬ」
 困惑する皇帝。
「皇子――皇太子なら、滅びのときに命運尽きるでしょう」
「!  何故、そのようなことを言う?」
「国と共に逝くのが定めなれば」
 ひどく残酷なことをさらりと言った。
 皇帝は呆然として、立ち尽くす。青氏の言うことは、どうして全て正しいような気がしてしまうのだろう。こんな冷たいことでさえ。
 この平和な陽香が滅びると夢で言われ、しかし信じてしまったのと同じように、陽龍は青氏の言葉を信じたゆえに恐れた。
 まだ皇太子は立てていない。青氏が皇子を生んだときのために、空位であったのだ。今回青氏の子が皇子でなければ、皇太子位は皇后の次位である貴妃の長男・征を立太子することとなっていた。皇太子位が長く空位である状態は好ましくないという判断だった。その場合、もしこの先青氏に皇子が出来ても、征を皇太子位から降ろすことはしないと、争いを避けるため陽龍は明言していた。
(征がこの娘の身代わりになるというのか………っ!?)
 青氏は自分から言い出したくせに、陽龍に優しく手を差し出した。
「余はこの国の滅びなど見とうない」
 陽龍は手を取り、初めて泣き言を言った。滅びを悟ってしまったのが恨めしい。けして違えることがないと理解してしまったのが。
 陽龍は傷ついていた。ようやくこの国を幸せに満たせるというときに。
「国はいつか滅びるものです。けれど陽龍さま。民はそれでもこの地で生き続けます。国とは外殻にすぎぬもの。滅びに至っても、この娘はきっと民を救うことが出来るでしょう」
 天女のように、青氏は陽龍を導く。
 どれほど独善に満ちた言葉であっても、陽龍は頷く。
 覚悟しなければならない。



 第三公主の名は異例にも春陽とされた。当然のことに、官は猛烈に反対した――『陽』の字の持つ意味ゆえに。しかし彼らが奏する諌言は、皇帝に悉く無視される。
 同時に貴妃を生母とする皇子・征に『陽』の字を与えて陽征とし、これを皇太子に立てた。
 二人同時に生まれた、陽の字を持つ者。
 人々は皇帝の心を疑った。本当は春陽の方を後継にしたかったのではないかと。それから十年が経過しても、その疑いは人々の口の端に上った。それは名前のせいばかりではなく、春陽の扱いにも起因していた。常に他の御子とは別格に遇し、教育を施した。
 たとえそのために争いが起きようとも。
 そんな陽龍の様子が、他者には溺愛と見えたかもしれない。しかし実際には、彼は春陽に皇帝としての自分以外の姿を見せることはなかった。それゆえ春陽は父を敬愛したが、内心寂しくもあった。彼女とて、自分の置かれている状況の異常さに気づかぬはずがなかったのだ。
 それに彼女は、父親が自分を見るとき、いつも複雑な顔をするのに気づいていた。皇帝は常に迷い、娘の姿を見て迷いを思い出さずにはいられなかったのである。――余は正しかったのであろうか、春陽は道を踏み外さないだろうか。



*     *     *



 開輪二十六年、その年は陽香の民にとって、忘れられぬ年になるだろう。
 三年前から幾度となく刃を交えてきたガクラータ王国が、総力をあげての戦いを挑んできたのである。明領から入港して、瞬く間に三つの関所と副都・令玄が落ちた。
 その報に都が揺れた二月。
 白昼の政務室、春陽公主は皇帝の前に立っていた。
 前もった約束なくしての訪問である。先触れさえもなかった。いうまでもなく無礼な行為であり、そもそも公主が政務室に足を踏み入れるということからして、異例であった。
「陛下」
 春陽は陽龍にそう呼びかけた。まだ成人もしない公主の浅慮は叱責されてしかるべきであったが、陽龍は咎めず春陽の呼びかけに応える。彼女の茶色がかった黒瞳が、怒りによって漆黒に変わる。黒曜石の瞳は彼の愛する人と同じものだったが、眼差しはむしろ陽龍に似ていた。
「御自ら元帥となり、親征なされると耳に致しました」
「ああ、発表した通りだ」
「わたくしは、陛下が朝臣の挙っての諌めを聞き入れぬ昏君であそばされることを、今先程まで存じませんでした」
 居合わせた者たちの誰もが青くなった。言って悪いことがある。臣下の前で天子に向かって昏君と言うなど、先代の時代では斬ってくれと言うようなものである。いくら相手が炯帝で、発言者が娘の春陽であるといっても、なんらかの罰がないほうがおかしい。
 そんな臣下の心配などおかまいなしに、春陽はさらに続ける。
「わたくしはつい先日も重ねて申し上げました。よもやお忘れになったわけでもありますまい。例え陛下が天子として完璧な力を備え、どれだけの武勇を誇ろうと、戦さにおいては将に勝ることはけしてないのだと!」
 猛烈な怒りと諌言であった。
 陽龍はこの娘がこのように感情を剥き出しにする日がくるなど、想像もしていなかった。しかし今回の件は、彼女が一番に反対したのだ。
「わかっておる。実際の指揮に余は口出しせぬ。余は兵士を鼓舞するために行くのだ」
「いいえ、陛下はわかっておられない! この国は未だ陛下ひとりの御力で成り立っているというのに」
「彼の国は国王自ら出陣したというのに、余が行かぬわけにはいくまい」
 どちらの主張が正しいかなど、やってみなければ分からぬことだった。皇帝が行っては足手まといにしかならぬという考えと、皇帝が出なければ勝てぬという考え。
 両者は幾度となく話し合っても、どちらかが折れることはなかった。
「陛下がもし………っ!――いいえ、もはや何も申し上げますまい」 
 無駄だと悟って、春陽は続けるべき言葉を見失った。
 何が言えるのか。この覚悟を決めてしまった父親に!
 皇帝に一度だけ烈しい眼差しをやると、彼女は無言で背を向ける。
――彼女はこのことを一生後悔するのだが。
「行ったか………」
 陽龍は諌言の臣の筆頭である国衛にむかって言うと、彼は畏まりながらも公主のために抗弁した。
「帝の玉体と国の安寧を案ずるがゆえの御行為であらせらます。公主のこと、どうか御容赦を」
「もとより咎めるつもりはない。皇帝とはどうあるべきかを言い聞かせたのは余自身であるゆえ」
 嘆息して、陽龍は肘掛けに身を委ねた。
「余は汝以上の直諌の士などいまいと思うていたが、違ったらしい。吾が娘がそうであったとは」
 春陽の性格はどこまでも青氏に似ているが、今回は違った。春陽とは違い、青氏は今回の件について何も口出ししなかったのだ。陛下のなさりたいように、と言って。
 国衛は皇帝を見た。前から皇帝はどこか捕らえ所がなかったが、今は特にそうだ。彼はてっきり皇帝が春陽公主の発言に激昴するかと思ったのだ。
 普通、自分が頑なに決心したことを愚行と断じられば、少なからず機嫌を損ねるだろう。そのうえ陽龍は、特に穏やかな気性の持ち主というわけでもないのに。だが彼は赦した。
「何故に陛下はこの度の親征をご決意あそばされた」
「前々から言っている通りだ。他に何がある」
「本当に?」
「──── ……。」
 陽龍は黙して、それ以上は語らなかった。
 彼が座る椅子が、疲れたように、ギイとなった。



 御駕親征という約百年ぶりの大事業に、国は沸き、朝廷は大わらわとなった。相も変わらず皇帝を思い留まらせようという者の諌言は続いたが、皇太子陽征が皇帝を支持したので結局取りやめになることはなかった。
 手早く皇帝の親征のための準備が整えられる。その数五万。御駕親征にしては少なめの兵数ではある。
 八日後、皇帝はついに出陣した。
 向かうはまず常林関。ガクラータ王国はついに明領の王城・高秦を攻略し、明王の首級を手に、つぎつぎと関所を抜けて行った。また各群の太守に投降を呼びかける檄を飛ばし、いくつかの太守はこれを受けた。明王が薨じたことに弱気になっているのだ。だが、今ガクラータ王国軍が攻めている常林関がよく護っていた。さらに敗れた明王軍とこの地方の駐屯軍が常林関に集結し、護りを固めた。
 皇帝出陣から十二日して、常林関に到着すると、情勢は一変した。あまりに速やかな援軍の出現にガクラータ軍は騒然とした。統率を欠いた軍はすぐに退却する。炯帝陽龍の手際の良さに、ガクラータ国王キーナ三世は歯軋りして悔しがったという。
 その後も皇帝軍は勝利し続けた。キーナ三世の見事な用兵に押されることは幾度もあったが、地の利と食糧に困ることがなかったので、負けたときも酷い負け方はしなかった。
 誰もがガクラータ王国軍の撤退は近く行われると信じ始めていた。
 ───だが皇帝の脳裡から春陽公主の言葉の数々が離れることは、けしてなかったのだった。



*     *     *



「陛下ぁ………っ!?」
 身を貫く衝撃とその叫び声のどちらが先であったか。
 陽龍は前かがみになって、馬の鬣に倒れ込む。
「あっ………あぁ……」
 喉が引き攣る。
 その矢を事前に察知できた者は誰もいなかった。
 ───誰が朋軍に射かけられるなどと思うのか!
 いきなり崩れ出した自軍を、しかし陽龍は収める事は出来ぬ。
 背中に穿たれる朝楚軍の毒矢。
 速効性なのか、もう動くこともできない。
 どさり、と陽龍は落馬する。
 あまりにあっけなく全てが終わる。
 信じ難く、また許し難い朝楚の裏切り。
 だが陽龍の意識が絶望や怒りに向くことはなかった。
 身体を苛む痛みもまた、もはや己のものではない。
 陽龍がそのとき考えたことはただ一つ。
 それ以外の思考は許されなかった。
 生き延びたいという、当然の渇望でさえ。
(死ぬのだ………)
 圧倒的なまでの事実を前に、為す術もなく死を考える。
 いつの頃からか感じていた予感───自分はきっと国に殉じると。
 慎重なはずの陽龍をして、軍の元帥にならしめたものは、その予感。
 何かを成して死ななければならなかった。紀丹宮での自刃など許されない。───どうしても。
 涙交じりの絶叫。
 己に縋りつく人の重み。
 遠い感覚。
 土埃。目が開けられぬ。
 耳元で、誰かが何かを喚いている。
 麻痺した五感では聞き取れない。
 興味さえも沸かない。
 あまりにも遠い。
 矢を引き抜かれ、意識が白濁する。
 飛沫する己の血潮を、しかし皇帝は認識していなかった。


 余は汝を残して逝かねばならぬのか


(────否)
 青氏が己の死後も健やかであることを、けして望んでいない自分に驚く。
 汝は余の運命である。余は汝の運命である。
 余が一人では死ねぬように、汝もまた一人で生きることは叶うまい。
 陽龍は、青皇后春耶が自ら死を望むことを知っていた。
 青氏は残さず連れて行く。
 残すのはこの国だ。
 

 (人々の声すらなくなった)
 全ての感覚という感覚が剥ぎ取られる。
 もう何も考えられなくなってゆく。
 ゆるやかに己の全てが消えてゆく。


 ああ。
 これこそが………終わりであったか。
 このときこそ。


 ならばこの国は滅ぶ。───そして動乱の始まり。
 なにもかもを飲み込む流れ。
 吾が娘よ。
 そこで汝は生きるのだ。
 もう余から汝に全ては委ねられた。
 もはや余に何もない。
 余は消える。
(青氏………青氏………)
 ───知っていた運命だというのに、涙が流れるのは何故だろう


 血溜まりのなかで最期に皇帝は夢を見る。
 死の瞬間にようやく全ての真実を得る。
 思い出す。それは過去に紡いだ夢。
 それは公主という運命。
 鮮明に。忘れることが出来たことが不思議ですらあるほどの。
 余が生んだ、しかし余は拘わることを赦されぬ定め。
(ああ………)
 涙は止まらない。




 陽香王朝 第十一代皇帝 劉陽龍。
 諡して聖国尊王。
 開輪二十六年 三月に崩ず。







*     *     *






微睡みが調べる花音の詩歌
  ゆうるり ゆうるり
途方もなく 絶えることもなく



永い時代の破片に咲く花であれど



或る女は生まれながらにそれを悟り
男は最期にそれを思い出す

何故 宿命は選択肢すら矛盾なく内在し得るのか
人々は常に選びながらも 天命を辿り





男は逝く しかし花は萌芽せん















(花音の詩歌・了)

花音(かいん)=花が咲く報せ


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