[断・晩夏を経て纏わる幻]
夏はたった今、終わった。
寝返りをうつと、白すぎる蛍光灯が目に差し込んできて痛かった。反射的に目を瞑る。
糊のききすぎたシーツに、薄くて硬いマトレス。身に覚えのない寝具の感触がゆるゆると僕を夢から引き剥がした。
もう一度、きちんと目を開く。煤けた天井に、白い布を張った衝立。傍らに人の気配がして視線を遣ると、姉の心配げな顔があった。
「宗、気がついたのね」
──ここは。
問うまでもなく、その村に唯一ある診療所ということが知れた。中に入るのは初めてだったが、そういえばあの並木はここの近くだった。
「ねえさ……」
「……あんたって子はっ!」
姉は言葉を詰まらせた。その潤んだ目に気がついて、居た堪まれない。
僕はまだこめかみに残る頭痛をやり過ごして、笑顔を作った。
「ごめん、姉さん。心配かけたみたいだ」
「あんな暑いところで、日射病になるまで何してたのよ」
何を……していたのだっけ。姉の言葉によって、僕はあのときの記憶が判然としないことに気がついた。
ただ蝉の声が。
皓い、
身体がひどく熱い。夏が篭もったかのように。
眩むようなそれは。 「内川さんがあんたを見つけて、ここまで連れて行ってくれたのよ。後でお母さんたちと一緒にちゃんとお礼に──」
「今、何時?」
「え? ああ、四時よ」
ということは、気を失っていたのは三十分位か。今までそんな経験をしたことのない僕にとっては、脅威の長さである。
そのようなことを姉に言うと、「覚えてないの?」と怪訝な顔をされた。
「何が?」
「あんた、内川さんに拾われたときはまだ、意識があったって聞いたけど。譫言のように何か言ってたって」
だから気を失ったのはせいぜい十分位のことよ、と姉は言った。
空白の十分。
僕は何を視て、何を口走ったのだろう。
「とにかく、あたし先生呼んでくる」
備え付けの丸椅子から立ち上がると、姉は背を向けた。
揺れる長い髪。艶やかで、黒い。晒された皓い項に記憶が喚起される。耳の中にいつまでも残る蝉の大音声。コンクリートで四方を囲まれた部屋にいるというのに、僕の心は林に残されたままだった。
ジ……ジ、ジジジ。
鎮まっていた筈の頭痛が再燃して、嘔気がする。僕は耐え切れず、しばらくベッドの上でえづいた。目が回る。
(ああ……)
記憶の残滓が浮かび上がってくる。それは白くも靄がかって、視界を覆った。視線の先、病室の天井と着物の裾が透けて重なる。
――そうだった。
「僕は」
自覚した途端、うちに篭もっていた熱が霧散した。冷え冷えとした身体を抱きしめて、呆然とする。
僕は僕でなくなったんだ。
四台しか寝台のない病室の窓から、外に目をやった。
蝉の声はもうしなかった。
戻る 続く
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